就職氷河期世代の生き残りは能力ではなく運次第
今更ながら、30年ほど見返しても能力ではなく運が左右する部分が大き過ぎるかと。
個人の自己研鑽は当たり前だった。
試験などでは母集団が大きく、能力が僅差ならば合否を分かつのは細かな相性(ヤマ)であり、 その後の運命を決定づける例があったのではないかと思う。
資格(能力)はあるが採用されないという話もよく聞いた。
ネット上で見かける同世代で比較的安定した生活をしている人も、 「自分は運が良かっただけ、他の方が時代に翻弄されたというのは過言でない」という旨の書き込みも多い。
有資格者や放置されている能力ぐらいは活用できないかと思うが、前提とした社会の仕組みが壊してしまったので難しい。
推測・伝聞も入るが、過去のほうが努力は反映され、セーフティネットが機能しているように思える。 平たい表現で言えば、氷河期世代では「できない・ありえない・やったら社会的に死ぬ」という事例が多く参考にならなかった。
能力が報酬に反映されず封建社会に回帰しているように思える。
2022年3月、内閣府からの就職氷河期の予算が160事業に17億ついたようです。 単純計算で1事業当たり1000万強、何ができるんですかね? 専任スタッフ一人雇ったとしても無くなります。
一方、高齢者には5000円給付。 2600万人いると言われているので、給付金だけで1300億円必要。 1万円に増やす案もあるらしいですね。
年金額よりも少ない給料で生活している方も結構な数な筈ですので、不公平感はぬぐえないかと思います。