未完放流

終わりなど無い、有るのは試練だけだ……

氷河期世代は報われることはないけれども

今日話題になっているまとめ。 氷河期世代が一生報われることがないという予想。

togetter.com

多くの恨み節が述べられているが、該当世代の私でも違和感を覚えた。 中には関係ない事柄を屁理屈で結びつけようとしている輩もいるようだが。

私は個人的な事情が恵まれておらず、運が悪い幸薄いなどとよく言われる。 不幸自慢が得意な氷河期世代の間でも同情を集めるぐらいだ。

子供の頃から親世代と折り合いが悪く、彼らが氷河期世代形成の一因とも考えている。 当然ながら腹立たしい思いが途切れたことはない。

少なくとも20年以上前から、政府が何も手を打たず、このような日が来ることは 2ch でも散々議論されていた。 分析もかなり精緻で結論は当時の予想からあまり外れたものはないと思う。 参照していたのならば無策に生きたのかと疑ってしまう。

社会人になった当時、無茶苦茶な社会システムの変更に疑問を感じなかったのか?

上の世代の発言・行動が絶対に正しいと思っていたのか?

考え、決断を下すことを放棄していなかったか?

私は勝ち組には程遠い人間であるし、どちらかと言えば貧困に近い家庭で生まれ育った。 最近の言葉ならば搾取子と呼ばれるような存在であった可能性も高い。 しかし年下には自分の経験などを伝えなければ存続はないと考えていた。

安楽死を認めろという主張・気持ちも分かるが、同世代に何とか己の生に意義を見出して欲しいと願うのはエゴだろうか。

Python 全盛時代に shell芸と Perl で乗り切ろうとした話

本屋、ネットなど見る限り、現在では Pythonプログラミング言語の入り口なんだと思います。 私も Python で書かれた プログラムには随分お世話になっております。 私も少しはプラグラムは書くのですが、逆に簡単すぎるものは書きたくないなと思う言語です。

普段は CLI の作業が多く、初歩的な shell芸で乗り切ることが多いです。

プログラミング自体は計算の道具として考えていたのですが、 怠けるために スムーズに仕事を進めるために覚えた shell芸とPerl を使う日々を送っております。 若い時は好きなことが出来ず腹立たしく思うことが多かったのですが、年を取ると皆のために仕方がないと思うようになってきました。

Linux の設定は極力デフォルトから変えないものとしております。 bash + 標準で入っている Perl 5 で、Perl の module も使わないという方針にしております。 Perl は shell script の拡張のような位置づけで使っています。

あまり褒められたやり方かもしれないのですが、 pipe の取り扱いが楽なのが非常に有難いです。 Text filter に該当すると思うのですが、以下のようなスケルトンで試作しながら挙動をみて動くようなものを徐々に作っていきます。

while(<>){
    # code を記述。
}
$ command hoge | perl fuga.pl 

またコマンドとパイプを取り込んだようなコードも書けるのも個人的には有難いです。

open(FR, "command $ARGV[0] |") ;
while(<FR>){
    # code を記述。
}
closer(FR);

shell + Perl は、邪道な書き方なのかもしれないのですが、もう少し評価されても良い気もしています。 shell 芸で、awksed との連携は、幾らか書籍が出ていますが、Perl は若干位置づけが違うようですね。 最近は multi core が、当たり前ですし xargs と即座に連携をとって並列に流せるのは有難いです。

とりあえず、Python で同じことができないかと考えていますが、 私の調べ方が悪いのかあまり短く書く方法が見つけていません。

欠点として、PerlPython と比べて、コードが汚くなりやすく読みにくいです。 また上級者は特異的な記法を使う場合もあり、万年中級者の私などは何年たっても発見があり全容は把握できません。

情けは人の為ならず?(仕事編)

orangeitem さんのエントリーで妙に納得した。

www.orangeitems.com

若い時分、仕事の属人化を進める人が多かったのが不思議で仕方がなかったのだが、 仕事を盗られないため生活防衛のためと言われれば腑に落ちる。

当時は研修を減らされ、OJT という美名の元、いきなり現場に入れられるというのが普通だった。 準備もせずに勝負させるのは単なる浪費だと思うが、まかり通っていた。

効率悪いのに、何故この人が担当しているのか不思議な仕事も多かった。 上司も疑問に思わないのが不思議だったのだが、恐らく属人化は上司自身も楽なんだろう。 采配に頭を使わなくて良く、ブラックボックスだろうが望みの結果が得られる。 人は余っているから効率とコストは無視できる。

誰もやりたがらない仕事を一度でも同情してやったら専任させる「やった者負け」にもつながる。 器用貧乏には生き辛い期間でもあったと思う。

屁理屈を言えば簡単な仕事でも属人化できないものは無いが、本当に難しいものでも標準化できないものも意外と少ない。 稀にある相当に修得困難な技術以外は可能だと思う。

職場で10年ほど前だと思うが属人化の反対、つまり標準化を推し進めようとしたことがあったのだけど殆どの人から抵抗にあった。 当然ながら、そういう人たちに後続を育てるノウハウはなく逃げ切ることを考えているように思える。

就職氷河期が作りだした負の遺産は、単に雇用が安定しないという個人レベルから社会レベルとも言える見えない部分にも沢山ある。 人材の流動性が効率化を生み出すと某御仁は盛んに言っていた気がするが、 実際に起きたのは過去の資産(遺産)の食い潰しだろう。

日本が経済規模を維持していたのは 来年、蒔く籾まで食べたようなものである。

まぁー、これも当時(2000年代)から言われていたことではありますが。

成功と失敗を分かつもの

やはり「運」だけなのかも?

事実かフィクションか分からないが、 ギリギリ起こり得るかもしれないと思った話。

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最近の分かり易い例で言えば、山上容疑者も優秀に思えるが現代日本の苦渋を嘗め尽くすような人生に見える。

日本において毒親育ちが、個人の成功を最も遠ざけるものではと頭に浮かんだ。 本来の毒親の定義には無かったかもしれないが、成人前の子の稼ぎを親が奪っていく状態について再考するべきかと思う。 家庭という単位は重要だと思うが、優秀な人間の活躍を阻害する要因として強過ぎると思う今日この頃。 重きを置きすぎると封建社会になるのは分かり切っている。

支配階級に所属すれば促進したいのは封建化だろう。

個人が幸せな人生を送る最後のチャンスは成人前といったところだろうか?

氷河期世代の老害化?

私自身も氷河期世代ですが、老害と言われるのは50代以降からかなと想定していたの30代終盤から40代の間というのは予想より少し早かったですね。 若い子に「どのように思われているのだろう?」と眺めていました。

5ch まとめサイトに書かれていたものを要約引用します。

  • 自分より上の世代も下の世代も叩く
  • 自分の時代の文化の若者評価を気にしたり若者に押し付ける
  • でも自分より上の時代の文化はダサい扱い
  • 昭和的な男尊女卑の価値観を持っている
  • 苦労自慢をして今の若者は~ とか ゆとり世代は~など話し始める
  • 流行りのファッションや音楽に嫌悪感を示す
  • 今風のイケメンを見ると叩き始める

世代間論争として特に目新しいものは無く、ほぼ「今どきの若い者は~」のテンプレで作れますね。 各々が、若い時分の価値観を至上と互いに押し付けあうのは 古今東西 変わらないようですね。

「上の世代も叩く」「男尊女卑」は少し毛色が異なるので、個別に述べようかと思います。

昭和的な男尊女卑の価値観

若い世代ほどジェンダーに対する意識が強く、概念もアップデートされているのは頭では理解しております。 ただ具体的に何を批判されているのかまでは把握しておりません。 氷河期世代の母親は専業主婦が大多数ですし何らかの影響はあるもしれません。 少なくとも90年代以降、女性の方が強かった気がするのは私が弱者男性だからでしょうか(笑)

上の世代も下の世代も叩く

唯一特徴的と言える可能性があるのは、評されるような「ある種の攻撃性」かもしれません。 若い世代への批判は人類の普遍的な性質のようですが、年上の世代も対象にしている人も多いというのは珍しいか新しい現象かもしれません。 私が考える氷河期世代は2022年現在で30代終盤から40代中盤あたりですが、現役世代の中では最も理不尽な競争と待遇を強いられたと言っても過言ではないと思います。 現代社会が生み出した蟲毒とも言える環境で生き残った氷河期世代には呪が込められているのでしょう。 あまり笑えないジョークですが。

ja.wikipedia.org

このような状況が作り出されたのには幾つか理由があるかと思いますが、ものすごく大雑把には人口動態を考えるのが分かりやすいかと思います。 社会的な負担配分を高齢者(現役・出口)よりも若者(入口)で調整しようとした弊害です。 氷河期世代も人口減少フェーズに属しますが、ルール変更による絞り込みの速度の方が遥かに速かったのです。 団塊の世代の定年退職で求人が急激に改善し、就職氷河期が終わったのには呆れました。 結果的には継承されずに失われた技術も多く、資産・資源等の世代間移動にも失敗しているため無計画と言わざるを得ません。

特に若い方には実感が沸かないので理解し辛いと思いますが、これは氷河期以降の世代にも大変な損失です。 移るべきものを見てもいない方が多くなるので認識できないのも無理はないです。

当事者以外からは理不尽さは理解しにくいものですし、氷河期世代の経験を他の世代に適用すると叩かれるのは無理はないかと思います。 ただ当人たちにしてみれば、あったはずの選択肢を奪われ懸命に生きただけなので 我々自身に全責任があるように言われるのは少し残念ですね。

個人的な事情を言えば……

私などは若い人と関りがほぼ無いので会話をする機会すら殆どありません。 寧ろ、スレを立てた方のように具体例を挙げられるほど濃密な関りがあるというのは素晴らしいことなのかもしれません。 更に言えば若い時分は貧乏暇無しでしたので、自分の時代の流行も知らなかったりします。

元ネタは2ちゃんねる(現5ちゃんねる)で、 主に嗜好・娯楽について煽りあいですので多くは平和なものです。 本質的には深刻な社会問題ですし、昨今に起きた事件や情勢を考えれば笑い話では済まないでしょう。 自分は関係無いと思わない方が良いでしょうね。

山上容疑者から映る自己責任の行方

今日も安倍晋三元首相のご冥福をお祈り申し上げます。 某所で献花もして参りました。

孫子も戦争・暴力は最終手段・局面であり極力避けるべきと説いておりますが、凶弾は言葉よりも雄弁で多くの人を動かしました。 暴力が顕在化せざるを得ない背景を省みず、己のみが絶対に正しいと言わんが如く浅慮・放言を垂れ流す輩(自称インテリ)にも絶望を抱いております。

容疑者は母親が宗教への入信後、献金による家庭崩壊・自己破産を経験し怨みをいだき犯行に至り。 安倍元首相への襲撃は本来の目的ではなく、宗教法人へ最も効果的な攻撃手段として考えたようです。 結果、日本が長い期間、無視していた問題(家庭もしくは親子関係、宗教と政治、進学と就職を建前とした経済格差、ある意味では言論の封殺など)が一度にあからさまになりました。

経済的な困窮状態と事件の関連性についても議論になりましたが、安定した経済状態は犯行を留める要因として働き易いです。 手段や過程などは典型的な弱者男性から無敵な人ですし、あの御仁も急遽退任するので関連有と広く認知されたと見ています。

一個人の復讐のため、ある意味では30年分ほどの失政の結果として、政府があらゆる面で醜態を晒したと評されても仕方が無いかもしれません。 厳しい警備体制で守られている要人を、緻密に調査し、限られた資源の中で作戦を練り、目的を遂行した胆力と能力は卓越していると言わざるを得ません。

そろそろ優秀な人からも「無敵の人」が出てくる予測はしていましたが、公道で長期政権を築いた元首相の殺害というのは想定をかなり上回りました。

能力を発揮する本来の適切な場を奪われたため、望ましくない方向に結果が現れたとも解釈できます。 ある意味では国家すら負かすほど卓越した能力を持った人材であっても、全く活かせない社会であることの証左ともなりました。 同じような人は、まだまだ居るでしょう。

さて20年以上も散々もてはやされた「自己責任」を負ったは誰でしょうか? 本エントリーの言及だけでも実に多くの人たちが登場しましたが、負うべき者から逃げています。 搾取と責任転嫁の詭弁に使われた印象しかありません。

この様な日が来るのは、ある程度予測できたはずですが……。

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氷河期世代問題の解釈が一般と乖離してきたかもしれない

Google 先生の「氷河期世代」のサジェストを5年前のものと比較してみました。

2022年4月現在

  • 性格悪い
  • うざい
  • いらない
  • ひねくれてる
  • 見捨てたツケ
  • お荷物
  • 女性 特徴
  • 怖い

2017年4月

  • 年齢 
  • 優秀 
  • 棄民 
  • 悲惨 
  • テロ 
  • 復讐 
  • 手遅れ 
  • 少子化

idwonder21.hatenablog.com

「世間の関心」 -> 「検索トレンド」 -> 「サジェスト」 と考えております。 超巨大とは言え企業なので、中の人の意志が多少干渉されているかもしれません。

2017年は社会問題としての調査・当事者が利用したと思われる用語もありますが、 2022年はごく個人的な敵意を感じますね。 幼い表現が増えていると感じるのは私が年をとったせいかもしれません。 やはり若い方からのものが多いのでしょうか? 個人の問題であれば大したことないのですが、社会としては解決どころか深刻化していると思いますけどね。

問題の本質は、氷河期世代が人口のボリュームゾーンであり、国、文化、身近なところでは会社など集団が機能する上での資産が継承・再配分が正しくされていないことだと思います。 個人スケールでなく組織などの長期視点というべきものでしょうか?

皆、自身の事で手一杯で、全体の事を考えることができないのでしょうかね。

行き過ぎた個人主義の果てですかね?