未完放流

終わりなど無い、有るのは試練だけだ……

人的資本?? 理研600人リストラから

人的資本という言葉があるのを知りましたが、40年以上生きて能力が評価されたこともあったような気もしますが報酬に結びついたかは全く分かりません。

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専門性が高い知識も修得するのが困難で希少価値があります。 では高値で取引されるかと言えばそうでもないようです。 理研600人リストラなんかもそうですけどね。

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中国の方が言われるように科学者・技術者に関しては日本の方が評価されないというのは事実かと思います。 私も海外への頭脳流出を目の当たりにしております。

就職氷河期世代ですと、大学教授には学問にお金は不要で卑しいという考えがまだ色濃く残っていました。 知力・体力がある20代に博士課程に進学して高度な専門知識を習得するのは良いのですが、研究以外を捨てないと学位取得できないということはままありました。 更に運が悪ければ、教授が学位も出し渋れば就職の邪魔すらするという話もありました。

現在ならば簡単にアカハラ認定されるでしょう。 時々同世代の准教授あたりが行き過ぎた指導をして訴えられて処分されるニュースになるのを聞くのは、ブラック育ちで他の方法が分からないでしょう。

もう少し時代を遡ると教授が博士課程進学希望者には「実家が太い(裕福)か」と聞き、 そもそも進学許可を出さないという話も聞きました。 お金の苦労をすることを予想、心配してくれるだけ、かなりマシです。

経済成長している時は社会が、中退したときのセイフティーネットの機能をしてくれることもありますが、 失われた30年では、それすらなくなります。

金融以外の専門性が高い人に意外とありがちですが、先に述べた理由から金融リテラシーは高くはないというケースも多いです。 「専門家は専門以外はただの人以下で多方面で人並みのスキルがある人は稀」という皮肉を時々言っています。 博士号取得以降に経済的に負のスパイラルにはまっているのも時々見ます。

www.morningstar.co.jp 世間では積み立てインデックス投資なども増えているようですが、実践している割合も他業種と比べたら低いように推測されます。

仕事で花開かせるには、30代40代と継続させることが重要なのですが、中断したり中止されることも多いです。 それまでの蓄積が全てといって良いほど無くなります。

学部も遊べたという気持ちはないのですが大学院進学時に、親戚に専門職は他人の金を使って趣味・遊んでいると言われたことがありました。 ただ研究といえども教授の指示に従わなければならず、自由度は低いので遊んでいるという気持ちはなく実際プライベートは皆無でした。

現在の大学院は風通しの良いところも増えたような印象はありますが、私の世代ではあまり良い話は聞いた記憶はないです。 大学院重点化政策で、進学者数だけ増やして受け入れ準備は殆ど整っていませんでしたからね。

専門家はコミュ障でプライドが高いという非難もよく聞きますが、一定の水準の知識を修めるために世俗を捨てざるを得ないことが多いこともご理解いただきたいです。 皮肉にも、真面目にやらないと評された人の方がが社会には受けが良いという事例もありました。 教育システムからは専門家と非専門家の間で壁ができやすいのも一因ですが、人間の知とは本来グラデーションのように連続的な状態が望ましいです。

知識の習得は本人の努力が必要ですが、お金に関しては本人の努力が必ずしも関係はありません。 人生の早い段階でより多く持っている方が有利というだけのシンプルなルールです。

全ての研究が必要で保護されるべきとは言いませんが、世のために研鑽をし続けた人が報われ、多少の時間が掛かっても還元される社会を願います。

ホワイトな職場から逃げる若者たち……「若者がいないなら中年(氷河期世代)を使えば良いじゃない」

氷河期世代から羨ましいと思われる方も多いでしょう。

現在も使うのかもしれませんが、数年前に流行った「意識高い系」の若者を指導したことがあります。 現場が必要とするタスクと彼らの希望に乖離があったのを記憶しています。 乖離は常にあるものですが、氷河期世代と違って若者の人数が少なく価値が値上がりしているので相対的に強いんですよね。

当たり前のように、雑務というか所謂クソ仕事を年上に振るということをしてしまう。 本人の希望したこともやらせましたが、結局尻拭いしたり。

いくら努力しても経験が無いと一蹴された、チャンスが皆無だった我々とは隔世の感がありますね。

組織というのは個人が理解するのが困難なものですので雑務・裏方が無くては成り立ちません。

偏在がないと競争も発生はしませんが、競争する前に人も組織も自滅する未来が見える今日この頃。

誰かがいった「仕事は過労死するほどあるが、餓死するほどない」

座っているだけで多額の報酬を得て私腹を肥やし浪費する人間と激務をわずかな報酬で行いゆとりのない人間を分けてしまえば組織としては成り立つわけがない。

転職したい若者はゆとりがあると思うので、チャンスのなかった氷河期世代を活用するのも悪くないと思いますがね。

就職氷河期世代の生き残りは能力ではなく運次第

今更ながら、30年ほど見返しても能力ではなく運が左右する部分が大き過ぎるかと。

個人の自己研鑽は当たり前だった。

試験などでは母集団が大きく、能力が僅差ならば合否を分かつのは細かな相性(ヤマ)であり、 その後の運命を決定づける例があったのではないかと思う。

資格(能力)はあるが採用されないという話もよく聞いた。

ネット上で見かける同世代で比較的安定した生活をしている人も、 「自分は運が良かっただけ、他の方が時代に翻弄されたというのは過言でない」という旨の書き込みも多い。

有資格者や放置されている能力ぐらいは活用できないかと思うが、前提とした社会の仕組みが壊してしまったので難しい。

推測・伝聞も入るが、過去のほうが努力は反映され、セーフティネットが機能しているように思える。 平たい表現で言えば、氷河期世代では「できない・ありえない・やったら社会的に死ぬ」という事例が多く参考にならなかった。

能力が報酬に反映されず封建社会に回帰しているように思える。

2022年3月、内閣府からの就職氷河期の予算が160事業に17億ついたようです。 単純計算で1事業当たり1000万強、何ができるんですかね? 専任スタッフ一人雇ったとしても無くなります。

一方、高齢者には5000円給付。 2600万人いると言われているので、給付金だけで1300億円必要。 1万円に増やす案もあるらしいですね。

年金額よりも少ない給料で生活している方も結構な数な筈ですので、不公平感はぬぐえないかと思います。

普通の人生は1000人中163人しか送れない?超就職氷河期世代など各年の数値が欲しい。

昨日、見かけた twitter から。

原典は以下の書籍らしいです。

2009年データですか、各年ごとが欲しいところ。

就職氷河期で概算を考えたいと思います。

そもそも人数も多く、浪人を含めて大学進学率は40%は超えたの2002年。 www.e-stat.go.jp

就職難のために大学院進学率も上げていました。 就職浪人のための留年する人もいました。 体感的にも、留年せずに大卒の時点で25%前後かもう少し低くても驚かないかも……。

更に、いわゆる正規雇用となると半数は無理ですし、ブラックな働かせ方が普通な時代でした。 3年働けるとなると10%切っていても、全然驚きはないですね。

金融資産分布や、初婚年齢などのデータ、同年代の同僚を見ても合理性があると思います。

そろそろ、私の世代も生殖適齢(可能)から外れ始めるので、できることはお金を稼ぐこととなるが 起業や事業拡大するにも元手が必要ですし、体力が衰えているのも厳しい。

そもそも組織を回すためのノウハウが殆ど失われているんですよね。 少数精鋭と言えば聞こえは良いですが、要は属人化ですからね。 無意味なものまで属人化されて、且つ資金が割かれていたりするので質が悪い。

仕方なく携帯電話を交換

エンジニアもどきなのに、5Gとか関心ないです。

PCの前に座る時間が長すぎて、スマホとか触りたくないのです。

所謂ガラケーで粘ってきたのだけど、もう許してもらえないらしい。

電話とメールだけ使えれば良いという考えなのだけど、検索すると世の中には割と似た考えの人が多いらしい。 強制的にガラホに交換される。

はっきり言って迷惑だったこと

  • 基本料金があがる
  • 電池の持ちが悪い
  • 変なアプリが詐欺まがいに通信する

1000円位に抑えていたのだけど、最低が1300円スタート。 インフラの維持費として仕方ないという考え方もあるけど、電話番号を維持費というのがモヤモヤする。

無駄に光って、電力を消耗するキーLED。 かなり電力を消費するらしい。 オフにしたらバッテリーの予測消費量がぐんと伸びた。 設定も壁紙扱いというのもUI設計として間違っているだろう。

ガラケーではなく、ガラホなので仕方がないのだけど、知らない間に通信していたびっくりした。 一応、販売店でかなり止めてもらったのだけど。 特に三大キャリアが共同で開発した+メッセージというアプリは驚いた。 デフォルト設定では最低プランを選んでも、知らない間に料金がかさむようになっている。 これは周知をするべきだと思う。

SMS モードに変えれば、以前通りになるらしい。

わざわざ、ガラホを選ぶ人間はバッテリーと通信量を気にする人が多いので、2ちゃん(現:5ちゃんねる)辺りにノウハウが貯まっている。 面倒だけど povo に変えるか、携帯電話を持たないというのも考えたくなる。

安全なところから苦しんでいる人間を蔑む

自己責任論というより、実態は責任転嫁、もっと酷ければ尻拭い、事後処理。 または安全圏にいながら苦しんでいる人に、さらに苦しめというような構図。

二十余年ほど色んなところで見続けているような気がする。

格差社会で勝ち負けに拘るというより、自分を守るためなら他人をどんな手を使って犠牲にしても構わないというところまで行き着いている気がする。 一度、上に立てば正義は必ずついてきて、間違いは下にあると考えているようだ。

勝負ですらなく、評価を捻じ曲げている。

幸い何とか生き抜き、細やかながら若い人の面倒も見させていただいているつもりだ。 年と共に、体力は衰え、思慮も浅くなっているが、必ずしも自分の考えが正しいとは限らないことを忘れないようにしたい。

日本で一応インテリと呼ばれる人達から、ウクライナ侵攻で害を被った方々に配慮を欠いた発言を数多く見かけた。 質が落ちたものだ。

あらためて倫理の重要性を考える今日この頃。

2022年の女難?

ふと、頭に浮かんだ言葉。 一小市民の思い付きなので特に深い意味はない。

私の身長は人権はあるらしいが、遺伝と栄養状態が主要因と解釈しているので件の発言は軽率かと。 戦後男性の平均身長の伸びをみると想像しやすいかと。

40年と少しの人生を振り返ればどういう訳か、碌な金も暇もなく色恋沙汰はなかったが 有難いことに結婚もでき、可愛い子供いる。 妻も優しい人だと思う。 経済的に安定とまではいかないにしても、困窮というほどではない。

服装に関しては、たまに怒られたこともあるが、容姿に関しては特に批難されたことはない。 今考えてみれば、褒められていたのかなと思うこともある。

しかし、自分が弱者男性だという感覚は無くならないんですよね。

母や妹とうまくいかなかったせいだろうか? 母は世間一般で言えば毒に分類されると思う。 数年前、流石に呆れて、絶縁状態にしている。 私への謝罪は無いが、子供(孫)には会いたいと言っているのが利己的すぎないかとは思う。

最近、世代間や性差の批難をみることが増えたのだけど明らかな間違いを目の当たりにすることも増えた。 昨日は著名な方が、「現在の40~50代の男性が、政府と企業を牛耳っており、左寄りの思想の持ち主が多く、ウクライナ侵攻との関連がある」旨の発言をされたらしい。 いやぁー、30年位前なら当てはまる部分もあるかもと思うけど、現在40代男性の私からすると殆どが右・左の思想も無く自分の事で手一杯というのが実情な気がする。

そもそも、現在の日本組織は40代前半は超就職氷河期で人材が薄すぎて牛耳ることなど不可能。 50前後の方が、まだ人材の層は厚いがそれでも少ない気がする。 まだ30代前・中盤のほうが元気で、上役につく例も少なくない。 実際のところは尻拭いが多く、時々頭から疑問符が出ている。

自戒も込め、数値が読めることと裏取りは重要。