情けは人の為ならず?(仕事編)
orangeitem さんのエントリーで妙に納得した。
若い時分、仕事の属人化を進める人が多かったのが不思議で仕方がなかったのだが、 仕事を盗られないため生活防衛のためと言われれば腑に落ちる。
当時は研修を減らされ、OJT という美名の元、いきなり現場に入れられるというのが普通だった。 準備もせずに勝負させるのは単なる浪費だと思うが、まかり通っていた。
効率悪いのに、何故この人が担当しているのか不思議な仕事も多かった。 上司も疑問に思わないのが不思議だったのだが、恐らく属人化は上司自身も楽なんだろう。 采配に頭を使わなくて良く、ブラックボックスだろうが望みの結果が得られる。 人は余っているから効率とコストは無視できる。
誰もやりたがらない仕事を一度でも同情してやったら専任させる「やった者負け」にもつながる。 器用貧乏には生き辛い期間でもあったと思う。
屁理屈を言えば簡単な仕事でも属人化できないものは無いが、本当に難しいものでも標準化できないものも意外と少ない。 稀にある相当に修得困難な技術以外は可能だと思う。
職場で10年ほど前だと思うが属人化の反対、つまり標準化を推し進めようとしたことがあったのだけど殆どの人から抵抗にあった。 当然ながら、そういう人たちに後続を育てるノウハウはなく逃げ切ることを考えているように思える。
就職氷河期が作りだした負の遺産は、単に雇用が安定しないという個人レベルから社会レベルとも言える見えない部分にも沢山ある。 人材の流動性が効率化を生み出すと某御仁は盛んに言っていた気がするが、 実際に起きたのは過去の資産(遺産)の食い潰しだろう。
日本が経済規模を維持していたのは 来年、蒔く籾まで食べたようなものである。
まぁー、これも当時(2000年代)から言われていたことではありますが。