未完放流

終わりなど無い、有るのは試練だけだ……

山上容疑者から映る自己責任の行方

今日も安倍晋三元首相のご冥福をお祈り申し上げます。 某所で献花もして参りました。

孫子も戦争・暴力は最終手段・局面であり極力避けるべきと説いておりますが、凶弾は言葉よりも雄弁で多くの人を動かしました。 暴力が顕在化せざるを得ない背景を省みず、己のみが絶対に正しいと言わんが如く浅慮・放言を垂れ流す輩(自称インテリ)にも絶望を抱いております。

容疑者は母親が宗教への入信後、献金による家庭崩壊・自己破産を経験し怨みをいだき犯行に至り。 安倍元首相への襲撃は本来の目的ではなく、宗教法人へ最も効果的な攻撃手段として考えたようです。 結果、日本が長い期間、無視していた問題(家庭もしくは親子関係、宗教と政治、進学と就職を建前とした経済格差、ある意味では言論の封殺など)が一度にあからさまになりました。

経済的な困窮状態と事件の関連性についても議論になりましたが、安定した経済状態は犯行を留める要因として働き易いです。 手段や過程などは典型的な弱者男性から無敵な人ですし、あの御仁も急遽退任するので関連有と広く認知されたと見ています。

一個人の復讐のため、ある意味では30年分ほどの失政の結果として、政府があらゆる面で醜態を晒したと評されても仕方が無いかもしれません。 厳しい警備体制で守られている要人を、緻密に調査し、限られた資源の中で作戦を練り、目的を遂行した胆力と能力は卓越していると言わざるを得ません。

そろそろ優秀な人からも「無敵の人」が出てくる予測はしていましたが、公道で長期政権を築いた元首相の殺害というのは想定をかなり上回りました。

能力を発揮する本来の適切な場を奪われたため、望ましくない方向に結果が現れたとも解釈できます。 ある意味では国家すら負かすほど卓越した能力を持った人材であっても、全く活かせない社会であることの証左ともなりました。 同じような人は、まだまだ居るでしょう。

さて20年以上も散々もてはやされた「自己責任」を負ったは誰でしょうか? 本エントリーの言及だけでも実に多くの人たちが登場しましたが、負うべき者から逃げています。 搾取と責任転嫁の詭弁に使われた印象しかありません。

この様な日が来るのは、ある程度予測できたはずですが……。

付録

山上容疑者を賞賛していると思われるかもしれませんが、減刑の嘆願などに署名を求められてもお断りします。 現在の日本が全て正しいとは言えませんし、本件の本質は少なくとも30年分以上の失政から来ていると言えます。 非常に気の毒ですが、容疑者は「日本が持つ病理の収束点」に極めて近くにいました。 しかし因果関係が解明されたとして凶行を必然と認めるのは難しいのではないかと思います。

事件当初は「氷河期世代のコミュ障・チー牛がジョーカーになって迷惑」との記述が大半でしたが、 現在は青少年期の模範的な人物像と不遇な半生が報道され、少なくとも半数は同情・好意的なものに思えます。 義士、英雄、などとも呼ばれ果ては神格化までされて、世間の手のひら返しにも驚いています。 私だけかもしれませんが、事件の報道があれば年齢を見て同世代の訳アリが「無敵の人」になったかと最初に考えます。

宗教法人の問題に関しては詳細は分からないのですが、容疑者の母親の行動も理解できません。 本件の直接的な原因と言えますが、事件への罪の意識は薄く子供からあらゆるものを奪っても何も感じていないようです。 洗脳・狂信から来ているのか、元から毒親なのかは分かりません。

政党も政教分離の原則は守って欲しかったのですが、報道を見る限り分離とは言えないように感じます。 懸念された典型例のように思えますし、何のために政教分離ってあるんですかね。 票田という奴なのでしょうかね?

暴力よりも対話・言葉で解決という輩もいますが、言葉も力の一面であり過ぎれば充分に暴力でしょう。 日本に限られた話なのか分かりませんが、最近の一方的な論理展開に辟易します。 対話によって事態が理解できない、共感できないから悪化するわけです。 どんな話を誰から聞いても完全に理解できる人間などいないのです。 言葉の無力を知り、己の無知・傲慢さは常に自覚すべきでしょう。 至極当然の成り行きでしょうが、この手の発言は「言葉」によって利益を得ている人たちからしか見ませんね。

別の視点からすれば、起業して成功する方が簡単とも言える難しさの凶行だとも思います。 ただ当時(2000年前後)に起業勉強会などにも参加していましたが、ここ10年などと比べると厳しかった印象があります。 若者への投資は意味が無いという風潮が異常に強かっただけかもしれません。